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追悼・山本寛斎さん 私の東京物語(下) 日本を、世界を元気に:東京新聞 TOKYO Web

◆ロンドン、パリ、ロシアへ

 念願の装苑賞を受賞したのが1967年、23歳でした。同じ年に渋谷西武に初めてオリジナルの服をディスプレイしたら一週間で完売しました。

 25歳で英国へ渡り、キングスロードを歩いていたら、カメラマンに声をかけられ、撮ってくれた写真が雑誌「ライフ」に「世界の格好いい10人の男」として掲載されたんですよ。71年にはロンドンで日本人初のファッションショーを開催し、歌舞伎の技法を使った斬新な演出でした。その後、英国を代表するミュージシャンのデヴィッド・ボウイのツアー衣装も手掛けました。

雑誌「LIFE」に掲載された25歳の筆者の写真 (山本寛斎事務所提供)


 パリ・コレクションには31歳で初参加。並行して1976年の増上寺を皮切りに、日本で年2回のショーを開催しました。83年の「大寛激祭」は、蔵前国技館での、最初で最後のファッションイベントだったんですよ。

 パリ、ニューヨーク、東京のコレクションに参加し、日本でショーを開催、そうしているうちに、私にしかできない表現とは何だろうと考えていました。

 そんなとき、91年にソ連崩壊がありました。変わろうとしているロシアの人々に興味を引かれて、私にしかできないスーパーショーをロシアで開催しようと決めました。当時、日本にはロシアに批判的な人もおりましたので、お金集めには苦労しましたが、何とか2億円を集め、93年にスーパーショー「ハロー!ロシア」を開催しました。モスクワ「赤の広場」を借りる許可が出た外国人は、私が初めてだったんですよ。

◆世界と親しくなる

 20年間、パリコレに出ていたわけですが、パリコレっていうのは要するに、ファッションビジネスのためのプレゼンテーション、要は、商いの場なんですね。それだけでいいのか。いろいろな国を行き来するうちに、その国の人たちともっと交流したい、親しくなりたい、そんな思いが強くなってきました。そのために、日本で年2回開催していたスーパーショーを、海外でも行おうと思い、その最初が1993年のモスクワ赤の広場「ハロー!ロシア」でした。

 商業ベースではなく、交流が目的なので、日本からは最小限のスタッフしか行かない。現地の人たちを巻き込んで、ファッションという軸はあるんだけど、ほかにはない、私にしか、私とその国の人々にしかできないスーパーショーを開催しようというものなんですね。

 ロシアの次は、95年のベトナム。アメリカと戦争をして勝ったのは、どんな国なんだろうと、すごい興味がありましたので。湖に設営した会場に20万人が集まりました。そこで知ったんですが、日本の結婚式で着る留め袖の刺繍(ししゅう)を作っているのが、ベトナムの少女たちだったのです。彼女たちに会ってみたら、とても優秀なんですよ。ファッション学校あるの?と聞いたら、ないというので、ならば作ろうと思い、ハノイの芸術大学にファッション科を併設するために寄付をしました。

 そのあと97年にインドで「ハロー!インディア」を開催。こちらは衛星放送を通じてアジア54カ国に放映されました。

◆死に顔の特訓

蜷川幸雄さんから、「青の炎」という映画への出演を依頼されました。

 私は殺される役。どうすれば、すごい死に顔ができるか、麻布十番の稽古場を1週間借りて、練習しましたよ。

 監督の蜷川さんに「死ぬっていうのは何回もテストできません」とお願いしてリハーサル無し、一発OKでした。主演のアイドルグループ「嵐」の二宮和也(にのみやかずなり)さんは、私の死に顔を見て、寒気がした、ぎょっとした、と話していましたね。

 大島渚監督からも映画出演を打診されたことがあります。私がツアー衣装を担当した、ミュージシャンのデヴィッド・ボウイが主演。3カ月の海外ロケといわれ、パリ・コレクションとの両立が無理なのでお断りしました。私の予定だった役を、作曲家の坂本龍一さんが演じたのが、「戦場のメリークリスマス」。断らなかったら今ごろ映画スターだったかも知れませんね。

 映画と言えば、先日亡くなられたショーケン、萩原健一さんと2人きりで、天ぷら屋でお話ししたとき、「龍馬を切った男」という映画で主演するから、寛斎さん坂本龍馬の役をやってくれないか、と頼まれたことがあります。これもお断りしましたが、蜷川さんといいショーケンといい、強烈な個性をお持ちの人が多いですね。類は友を呼ぶんでしょうか。やはり先日亡くなられた内田裕也さん、この人も個性が強いですが、私のショーに何度も出演していただいたり、親交がありましたね。 

◆三軒茶屋 わが拠点

三軒茶屋のそば屋で地元の人々と談笑する筆者(左から2人目)

三軒茶屋のそば屋で地元の人々と談笑する筆者(左から2人目)

 平成が始まった年、忘れられない出来事がありました。パリへ向かう飛行機でのことなんです。当時の皇太子さま、先月即位された天皇陛下です。同じファーストクラスに搭乗されていたんですよ。ちょうどブランド設立20周年でした。うれしい偶然に感動しましたね。

 そして令和元年は、ブランド設立50周年。今月(※2019年6月)8日、「日本元気プロジェクト2019スーパーエネルギー!」を、六本木ヒルズアリーナで開催します。メインイベントは、明日のデザイナーを夢見る日本と英国の学生が作品を発表します。米国を代表するデザイナー、アナ・スイさんと私のコラボによるファッションステージも披露します。(昼公演・午後4時、夜公演・同7時開演。整理券を事前配布)

 ほかにも、大人気の日本酒「獺祭(だっさい)」が楽しめる獺祭Bar、私がデザインした新型京成スカイライナーのミニチュア版乗車体験、「ブラスト!‥ミュージック・オブ・ディズニー」のドラマー石川直さんによるライブステージなど、大人も子どもも楽しめる私流の「祭り」です。

 その準備を進めている拠点、私の事務所は、世田谷の三軒茶屋にあります。近所の商店街はお店のレベルが高く、食事は赤坂並みにおいしい。老若男女バランス良く暮らしていて活気があります。

 北極で刺激を受け、三軒茶屋からパワーをもらい、ますます知りたいこと、やりたいことができました。令和の時代も世界にひとつ、私にしかできない表現手段で、日本を、世界を元気にしていきます。天国へ行く暇が無いですねえ。

やまもと・かんさい 1944年横浜市生まれ。74~92年、パリ・ニューヨーク・東京コレクションに参加、世界的ファッションデザイナーの地位を築く。現在はその枠を超え、ライブイベントのプロデューサーとして国内外で活躍中。

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