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フレデリック・クレインス 磯田道史・解説『オランダ商館長が見た 江戸の災害』 | Bookworm | 新潮社 Foresight(フォーサイト)

Bookworm
(97)

評者:古谷経衡(文筆家)

ベルギー出身の研究家が繙く
外国人たちが見た江戸の災害

Frederik Cryns 1970年ベルギー生まれ。母国の大学を卒業後、京都大学に留学。国際日本文化研究センター准教授。共著に『戦乱と民衆』など。

 近年、幕末を除く江戸時代の研究は、日本人研究者ではなく、むしろ海外出身研究者の手によるものが大きな比重を持ち、また注目されている。それは幕藩体制下で新教国の蘭英(のちに英国は除外)のみに通商権が認められていたからで、特に長崎・出島に居住するオランダ商館長の日記が、オランダ側に大量に現存していることが、海外での研究を発展させてきたのだ。母国人でない第三者が前近代国家の風俗や事件を記録した資料は、何にも増して客観性があり、新発見がある。そうした意味で「犬将軍」と長らく日本側で揶揄され、暗愚な将軍とされた5代綱吉の評価が、ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー氏(独出身)の手によって180度転換したのが好例である。ここでも、論拠とされたのは当時オランダ商館付医師を務めたケンペルの1次資料(日記)である。
 本書は、ハーグ国立文書館に収蔵された歴代のオランダ商館長の日記に基づき、ベルギー出身の日本史研究家、フレデリック・クレインス氏が、特に江戸期に頻発した地震、火山噴火、市街を焼く大火、津波等々の災害に焦点を絞って執筆した随一の江戸研究本である。驚くべきことに、歴代オランダ商館長の日記をもとにした細密な西洋画は、江戸の大火や地震、富士山噴火を画像資料として描き残しており、これだけでも江戸期の重層的な理解に繋がる。そして本書は、この時代の災害復興に忙殺される日本人庶民の姿だけではなく、あっけらかんと災害をやり過ごす町人の逞しさも描写する。
 また災害に何とか人知で対抗しようとする行政の悪戦苦闘を描く行政史の一面も併せ持っている。例えば、大目付・井上政重は、1655年にオランダ商館長となったブヘリヨンを通じて、オランダ製の最新消火ポンプを輸入。実際、オランダ商館長側の記録にも、将軍・吉宗から「オランダ人はどのように消火するのか」と質問があった記録が残されており、日本でポンプが使用されることになった経緯がわかる。江戸の人々は、ただ呆然と自然の脅威の前に立ちすくむ無力な存在ではなかったことを、本書は教えてくれる。
 その他にも縷々、歴代商館長と幕府行政官との災害に関する連絡と雑感が記されている。第三者による災害の描写は息をのむほどの迫力で、現代的災害の悲惨さと何ら変わるところがない。新書でありながら、江戸という世界を身近に感じ、知る上で第一級の読み物に仕上がっている。

 

偽物と本物の差とは何か
戦後の詐欺話で本質に迫る力作

評者:大竹昭子(作家)

 似ても似つかぬ姿で復員した平泉貫一は本物か、それとも戦争のせいで変わり果てたのか。
 敗戦後に横行した、本人になりすまして家族の元に帰る復員詐欺の話だ。両親は大喜びで迎え入れ、出征前に見合いの場で1度会ったきりの妻タエもさほど気にしていない。本物かどうかにこだわるのは彼を昔から知る榎田だ。彼に調査を依頼された女性記者の「私」が語り手となり、話は進んでいく。
 貫一は画家で、復員後しばらく家で制作に励んでいたが、いまは失踪して行方が知れず、「私」は出征前と復員後の2葉の写真だけを手がかりに関係者に話を聞く。だが、言うことはまちまちだ。画廊主の勝俣は、出征前に描きかけた絵を本人にしかわからない厳密な手順で仕上げているから本人にまちがいないと主張。出征前から彼と関係していた玄人の女性は、変わっただのなんだのと言っちゃいられない、頭数さえ合ってりゃまだましなほうだ、と生活力旺盛な人らしく言い放つ。
 貫一の実体が明らかになるのは後半、軍関係者に連絡がつきはじめてからだ。貫一は従軍画家を希望したがなれず、しかも体が弱かった。ふつうなら除隊になるところが、画家としての特殊技能を買われてある部隊に異動になる。そこでの仕事が何だったかは読んで頂くとして、貫一にとって持てる能力を存分に発揮できる職務であり、初めて生き生きした姿を見せたことはまちがいない。
 詐欺の真実を探るのではなく、そもそも本物と偽物の差はどこにあるかと問いかけるところに本作の最大の魅力がある。社会が本物として迎え入れるからには必然性があるはずで、ならば偽物と本物に分けることにどんな意味があるのか。両者のあいだに明確な境はなく、「いつの間にか反対側に行きついている」坂道のようなものではないか。戦争を背景に虚偽の本質に迫った力作。筆力充分で今後が楽しみな作家である。

 

東海道の要衝「箱根の関」が舞台
関所を行き交う人々の悲喜こもごも

評者:縄田一男(文芸評論家)

 箱根の関所で弱い者いじめをしていた伴頭(ばんがしら)を辞職に追い込んだ竹馬の友――武藤(たけとう)一之介、人呼んで武一(ぶいち)と騎山(きやま)市之助、同じく騎市(きいち)は、なりゆきで関所番士となることに。
 この1巻は、箱根の関そのものを舞台とした、恐らくはじめての時代小説ではあるまいか。
 時は文政年間、関所には、様々な事情を抱えた人間がやってくるが、前述の発端篇となる表題作では、箱根の関に行く途中で、武一は、水筒の水を譲ってくれた武家の女に淡い思慕を抱く。
 続く第2話「氷目付」では、一見、冷徹に見えるも、情理を弁えた横目付・望月嘉門が赴任、罪人捕縛に端倪すべからざる手腕を見せる。
 第3話「涼暮(すずく)れ撫子(なでしこ)」では、関所を通る際、胡乱(うろん)な女を調べる人見女(ひとみおんな)として、武一の憧れの女(ひと)、理世がやってくる。この話は、構成も巧みで、敢えて詳述はしないが、関所を越えることを断念した女に対する作中人物の「いや、希乃殿は、関を越えたのだ……己の関をな」の一言がいつまでも耳朶に残る。
 第4話「相撲始末」は、力士の一団に関所を通過させる際に、他の往来を止め、様々な余興を披露させるが、その間に関所で女子を出産してしまった(女の赤ん坊には通行手形が必要となる)女房と亭主をどうやって通過させるか、皆で知恵をしぼる話。
 そして第5話「瓦の州(くに)」と第6話「関を越える者」はひとつながりの物語で、文政年間という時代背景を活かし、詮議を受けたシーボルトと交誼を結んでいた騎市の恩師・巴田(ともえだ)木米(もくべい)(実は理世の夫で、妻に災いが及ぶことを危惧して離縁した)にどう関所を越えさせるか、というサスペンス横溢の物語。
 作者の周到な筆致は、武一が、自分の理世への思慕など大きな時代の流れに較べれば、ほんの小事であることを悟ったと感じさせるし、最後まで武一を救ける足軽・岡衛吉(えきち)の活躍も微笑ましい。

 

読者を圧倒する重量と熱量
日本映画史を辿る貴重な1冊

評者:東 えりか(書評家)

 縦26.5センチ横20センチ厚さ4.5センチ。700ページ強で重さは1620グラム。価格は税別1万2000円。年末に入手してから机の左側にずっと置かれている。持ち歩くことも、ベッドに仰向けになって読むこともできないので、家事や仕事の合間に椅子に背筋を伸ばして座り、少しずつ読み進めるほかはない。だがこの重量に見合う熱量に終始圧倒された。
 1995年2月24日、67歳で亡くなった神代辰巳の作品には今でも熱狂的なファンが存在する。本書の刊行記念特集上映〈蘇る神代辰巳〉には、かつて劇場でロマンポルノを観た老人や最近名前を知った若者など、多くの人が集まったと報じられた。
 だが神代辰巳に関する書籍は驚くほど少ない。それは死後に出された「映画芸術」1995年夏号〈追悼神代辰巳〉が完璧だったせいだと本書を企画した編集者が編集後記で語っている。ならばと、手に入りにくいこの雑誌の内容を丸ごと収録し、さらに新しい資料を加えて本書は制作された。元の「映画芸術」の5倍以上のボリュームになっているという。
 私の神代映画体験はかなり遅い。日活ロマンポルノで世間の話題になっていたころは中学生。ようやく1人で映画館に行けるようになり「ぴあ」を愛読するようになって初めて観に行ったのが『青春の蹉跌』だ。萩原健一が魅力的で、書店で原作である石川達三『青春の蹉跌』を買って帰ったのを覚えている。
 神代が撮った映画作品は35作。私が観たのは『もどり川』『ベッドタイムアイズ』など10作品にも満たないが、晩年の作品『棒の哀しみ』の現場に伺ったことがある。原作者の北方謙三氏に同行し、小さな呼吸を楽にするための酸素ボンベを引きながらも精力的な姿が印象的だった。映画だけでなくドラマやCMの仕事も多かったことを初めて知った。萩原健一、内田裕也など神代映画を彩った俳優さんも亡くなった。日本映画の歴史を辿る貴重な1冊である。

(『週刊新潮』2020年1月30日号より転載)

 

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