特徴

Vol.125 商業映画とアートフィルムの違い。自身のターミナルを明確にして制作に挑む[東京Petit-Cine協会] – PRONEWS : デジタル映像制作Webマガジン

謹賀新年。今年も宜しく頼みます。

去年はとにかく動きまくった。作品もできた。いつもそういう事を振り返ったりはしない事にしているが、新しい年に向けての決意表明をする為にも、多くの事を知り、学んだ事は少し整理しておく必要があるようだ。
中でもClubHouseを始めて約一年、あっという間にブームが来て、あっという間に去っていった感があるが、ここから得たモノは貴重で大きいモノになった。
中には全く関心の持てないソサエティー(クラブ)や怪しいもの、気持ちの悪いものも沢山あって、人々が離れていく要因にもなったのだと思うが、生き残った(?)映画関係のクラブでは今も中身の濃い会話が行われている。

私はこの”話すこと、聴くこと”だけが目的のSNSでの話の深まり方が気に入っている。これはパンデミック前の居酒屋でもなかなかできなかった事で、そもそも「こんな人と居酒屋へ行くことは一生なかっただろう」というような人と、例え意見が違っていても、ゆっくり話し合う事ができる時間はとても貴重なものだ。
俳優達との会話にしても、既に作品の中にいるのとは全く違う次元で意見を言い合う事ができる。
作品の中で一つの目的に対し、ある種の上下関係(私自身は上下だとは思っていないが)を意識しながらでは出来ない会話が、彼らの本音を教えてくれるし、作品に入るまでの意識や活動も知ることができる。

私が毎週楽しみにしている「ハリウッド・日本の映画/TV/映像関係Club」は、ロスアンゼルスで頑張っている日本人俳優が中心になって、世界中の映画人が集まって(もちろん日本語で)情報交換をしている。
監督や俳優、プロデューサーはもちろん、配給サイドの人や、キャスティング、ヘアメイク、音楽家、映画祭運営……とにかくありとあらゆる人が集まり、利害関係なく、話に花を咲かせている。ここで私は多くを学び、映画の世界の在り様が見えてきた気がする。

自身の現在地と目的地の明確化

一言で映画の世界と言っても、それはひとつではないし、根本的に違うスタートと目的がある。その輪郭がハッキリしてきた。
ハリウッドと日本は勿論違うし、商業映画とインディペンデントとでは、同じ事をやっていてもそもそも目的が違う。
結論から言うと、俳優にしろ監督にしろ、その中で自分がどこに立ち、どこへ向かおうとしているのかをハッキリさせないといけないということだ。

その為には自分の足元、つまり自分の思いや活動だけを見ていても解らない。
少し俯瞰して、その世界を見ないと努力が無駄になったり、道を誤って、全く違う所へ行き着いたりする。
それはやっぱり悲劇だ。前述のClubではタイトルの関係で、将来ハリウッドで活躍したいと思っている俳優や監督の参加者も多くいるが、結局は日本の芸能界に向いて歩んで行ってるなんて事もよくある。
一生懸命演技をしていても、その先にハリウッドは無いよ!と言わざるを得ない。

同じ事が日本の商業映画とインディペンデントの中でも言える。
他にもテレビの世界、アジアやヨーロッパでもそれぞれ違う。スポーツとは違って、ルールのハッキリしない世界でもあるから、確実にこの道の先にこれがあるとは言いきれないし、時には意外な道から別の世界に飛ぶ人もいる。
最後は自己責任で決めなくてはいけない事だが、今回は日本の商業映画とインディペンデント、というか、アートフィルム(もうこの辺りでのハッキリした区別もないのだが)との根本的な違いを話そうと思う。

日本の商業映画とは

まず一番ハッキリしているのは商業映画の目的だ。
それはまず日本の映画館に多くのお客さんを呼ぶことだ。

前にも話したと思うが、東京だけに限っても、渋谷、新宿、池袋に同じ作品で数ヶ月間、毎日数百人のお客さんを呼ぶことはこの小さな国では並大抵ではない。
まずはマスコミの力が不可欠だということだ。そしてその為に頼れるのは出演者の人気という事になる。
例え映画祭で作品や監督が賞を取ろうが、関係ない。それがカンヌやベルリンであってもだ。
ただその主語が人気俳優である場合に限り、日本のマスコミは動く。福山雅治が!とか、綾瀬はるかが!!!とかなら話は別だ。
その為にはどんな手を使っても、いくらお金を使っても構わない。
結果的には数十万、数百万人の人が映画館に来て幸せな時間を過ごし、お金を払ってくれるからだ。

その上でどういう年代/性別の人が時間とお金を払って映画館に足を運んでくれるか?子連れの主婦は?40代の中堅サラリーマンは?そういうマーケティングが映画の要になる。
もちろん監督や脚本も無関係ではないが、マーケティング要素としては2の次3の次という事になる。そういう事業なのだ。基本的にはそれで完結する。
その先にハリウッドやアカデミー賞なんかは無い。

逆に言うと商業映画の監督や脚本家を目指すのなら、そういうマーケティングを理解しなければならない。
むしろそれをスタート地点にした企画や演出や脚本を作り出せなくてはいけない。それが責任というもんだ。

アートフィルムとは

対してアートフィルムという物は、これはもう単純に作家からシンプルに湧いてくるものだ。
湧いて来るものは形にするしかない。その先にお客さんが何人居ようが居るまいが、作るしかないのだ。
そういう勝手が許されるのは個人的なスポンサーがいるかインディペンデントの世界でしか有り得ない。
その意味?その価値?そんなもん知るか!とにかく作らなきゃならないんだ。それでいいんだ。

その代わり映画館がかけてくれないとかマスコミが取り上げてくれないとか、そういう不平不満を言うもんじゃない。
間違っても商業映画の人にそんな企画を持って行くもんじゃない。
私は間違って持って行った事もあるが、必ず袋叩きに合うか全く望まない形に変えられてしまう。

勝手に作っちゃうしかないんだ。それはもう絵描きさんと一緒。売れる絵を描くのと描いた絵を売るのとは全く違うんだという事が解ってなきゃいけない。
もちろんその後に”ひょっとしたら……”があるかもしれない。カンヌだってアカデミー賞だってあるかもしれない。生前か死後かは分からないけどね。

かなり極端な書き方をしてしまって例外もあるとは思うが、根本的にはこういう事だと思う。
少なくとも根本を間違わなければ変なストレスはなくなり、その道に邁進できると思う。
今インディペンデントの世界にいて、将来ハリウッドとか商業映画を目指すにしても、すぐにアメリカへ引っ越すべきか、今居る場所でどんな結果を残すべきかをしっかり考えて欲しい。

いずれにしても中途半端や場違いな努力は誰の為にもならない。
私の方針はハッキリ固まった気がするが、それは次回以降、アメリカと日本の違いなんかを話してから宣言しようと思う。お楽しみに!

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。
日本映画監督教会国際委員。
一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。
極小チームでの映画製作を提唱中。

Source Link

もっと見せる

関連記事

Close
Close