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世界注目のYUKIKA 韓国・ソウルで日本生まれのシティーポップを歌うわけ | 朝日新聞デジタル&M(アンド・エム)

新しい時代を切り開く20代のミュージシャンたちに「譲れない価値観」を聞いていく連載。今回登場するのは韓国で「シティーポップ歌手」として活動するYUKIKAだ。

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韓国産のシティーポップとして話題を呼んだYUKIKAの1stアルバム『ソウルヨジャ(ソウルの女)』を聴いて、3年前の出来事を思い出した。その時、韓国の友達が日本に遊びに来ていて、「どうしても買いたいCDがあるけど漢字が読めなくて探せない」と言うので、一緒に渋谷のタワーレコードに行った。

20代前半の友人が向かったのはJ-POPフロア。何が欲しいのか聞くと、なんと角松敏生の『GOLD DIGGER~with true love~』を探しているという。1985年に発表されたアルバムだ。この作品はストリーミングでも聴けないらしい。あまりに渋いセレクトに驚いていると、友人は1980〜90年代の日本のポップス――シティーポップが韓国で流行(はや)っていると教えてくれた。

「弘大(ホンデ)の感性というか、ファッションやカルチャーに興味がある感度の高い人たちに日本のシティーポップが人気なんですよ。『ソウルヨジャ』はそういう若い子たちや、私の両親と同世代で、森高千里やユーミンをリアルタイムで好きだった人たちが懐かしさを覚えて聴いてくれているみたい」。YUKIKAはそう語る。

ホンデはライブハウスやクラブ、カフェが立ち並ぶ日本の下北沢のような街。梨泰院(イテウォン)や明洞(ミョンドン)、江南(カンナム)とならんで韓国の若者文化を発信する街として知られている。韓国といえばBTSに代表されるK-POPが有名だが、インディシーンも活発で、まさに「ホンデの感性」を持った若者たちが世界中で再評価されていた日本のシティーポップにも反応した。

不安を感じるより「私が一番頑張らなきゃいけない」

YUKIKAこと寺本來可(てらもとゆきか)は93年生まれの27歳。2006年に雑誌「ニコラ」のオーディションでグランプリを獲得し、同誌を中心にモデルや俳優として約3年間活動。その後声優としてアニメやゲームにも出演した。だが思うところがあって、芸能活動を一度休止する。

「10代前半から芸能の仕事をしていたので、いわゆる普通の青春を知らなかったんです。恋愛はもちろん、部活もやったことないし、急に事務所に呼び出されるから旅行もできない。そういうのが自分の中で結構ストレスで。プロとして覚悟ができてなかったというのもあるけど、当時の私はお芝居するにしても普通の人の感覚を知ることが重要だと思っていたので、芸能の仕事を辞めました」

大学に進学したYUKIKAは普通の学生としてさまざまなバイトを経験。将来は海外で日本語の教師をしようと考えていた。だがその選択にどこかワクワクしていない自分がいた。また芸能界で活躍したいという未練も残っていた。そんな時、韓国で制作されるドラマ『THE [email protected]』のオーディション情報を姉が教えてくれた。

「『※アイドルマスター』も韓国も大好きだから『これは楽しそう!』と思って即申し込みました(笑)。小さい頃から自分と違う文化的背景がある人に興味があって。そういう子がいたらすぐに話しかけて友達になってた。大学の時も韓国人の友達はたくさんいました」

※アイドルプロデュースゲーム。家庭用ゲームソフトをはじめ、ラジオ、テレビアニメ、モバイルコンテンツからステージイベントまでクロスメディア展開をしている。

世界注目のYUKIKA 韓国・ソウルで日本生まれのシティーポップを歌うわけ

『THE [email protected]』(http://www.idolmaster-kr.jp)

だが韓国と言えば、激しい競争社会があることに加え、世界屈指のエンタメ大国でもある。そこに単身飛び込んでいくことに不安はなかったのだろうか。

「確かに韓国の人たちの勉強に対する意欲はすごいです。でも厳しさは日本も変わらないと思います。日本の芸能界も上にいけばいくほどモチベーションが高い人ばかりで、みんなものすごく努力してる。私は10代で芸能活動をしていたけど、歌もダンスも習ったことはなかった。だから、オーディションに行った時、不安を感じるより『私が一番頑張らなきゃいけない』と思いました。そしたらその一生懸命やってる姿勢を評価してもらえて合格できたんです」

自分が好きで来たんだから韓国のやり方を理解しよう

「THE [email protected]」は大きな転換点となった。撮影自体は非常に過酷だったというが、おかげで番組で知り合った仲間たちとは深い関係を築けた。また撮影が終われば日本に帰ることになると思っていたが、番組から派生したアイドルグループ・Real Girls Projectのメンバーに誘われた。

「実は私、昔は群れて何かするのが苦手だったんですよ。私にとっての人間関係とは『私とあなた』でしかない。そこで波長があえば友達になる。嫌なのに自分を曲げて、無理やり誰かにあわせたりしません。中学の頃、友達に仕事の相談をしたら、それをそのままネットに書かれたことがあって。それ以来、友達との付き合い方がわからなくなりました。

だけど韓国で一緒にドラマを撮影したメンバーとは、家族のようになんでも言い合えるような関係になれたんです。撮影がかなり大変で、一緒に泣いて、笑う時間が多かったからだと思う。加えて、私は誰かに呼ばれたのではなく、自分が好きで韓国に来たから、韓国のやり方や考え方を理解しようと意識してました。私が変わらないと何も変わらないかなって。メンバーのみんなとは些細(ささい)なことでよくケンカしたけど、その都度話し合って違和感は解消していました。みんなとは今でも毎日のように連絡を取り合っています」

YUKIKAが大切にするのは国籍や文化という枠組みではなく、自分が何をしたいか、何が楽しいか、誰といたいのかということ。そしてドラマの撮影を経て人間としても成長した。今は好きなことを実現するための変化を受け入れる。自分の「好き」を探求することで、ソロデビューという思わぬ成果を得ることができた。

なぜ『ソウルヨジャ』は韓国で受け入れられたのか

2000〜2010年代のK-POPは、アメリカの最新の音楽トレンドのトラックに、哀愁ただよう演歌のようなメロディをダイナミックに歌い上げるボーカルを乗せた音楽だ。だが近年はBTSの大成功を受け、K-POPのアメリカンポップス化が進行している。現在のアメリカの主流はヒップホップ。歌よりラップが主体で音数と展開が少ない。K-POPも叙情的な演歌スタイルの歌より切れ味鋭いタイトなラップが目立つようになってきた。一方で、YUKIKAの『ソウルヨジャ』は80年代の日本のシティーポップがベースになっている。その元ネタは70年代後半から80年代半ばのディスコミュージック。Aメロ、Bメロ、Cメロという展開を経て音数もどんどん多くなり、サビで歌と演奏が爆発する。こういうエモーショナルな展開がYUKIKAの両親世代にも響いたのだろう。だが世界の、そして韓国の音楽シーン的には異端な作りであるとも言える。

「最初はもっとK-POP的なアルバムだったんです。でも1年くらいかけて編曲とレコーディングを繰り返して、シティポップに寄せたサウンドにしていきました。韓国の音楽業界的には、たぶんK-POPっぽい仕上がりのほうがわかりやすかったと思う。でも私も作曲家さんたちも日本の80〜90年代のポップスが大好きなんです。作曲家さんなんて、私よりも詳しいくらい(笑)。みんな自分たちでシティーポップを作ってみたかった。それで何度も何度も意見交換して、ようやく今の形にすることができました。そういう試行錯誤があったからこそ、いろんな人に評価してもらえたんだと思う。きっと同じことを日本でやってもここまで話題にはならなかったんじゃないかな?」

世界注目のYUKIKA 韓国・ソウルで日本生まれのシティーポップを歌うわけ

韓国の音楽番組「M COUNTDOWN」で歌うYUKIKA(https://www.youtube.com/watch?v=NYRoCbOSpNQ)

日本と韓国は政治や外交面で良好な関係を築けているとは言えない。だが音楽などのサブカルチャーの世界ではお互いに良い影響を与えている。日本でシティーポップが勢いを増した80年代、韓国は軍事政権下にあり、日本の音楽を聴くのは簡単ではなかった。それでも韓国の市井の人々はひそかに海の向こうの音楽を楽しんでいた。そこから数十年が経った今、日本人は韓国のアイドルに熱中している。そしてYUKIKAのように韓国で自らの可能性を見出す日本人アーティストも誕生した。日本と韓国のクリエーターがお互いの文化をリスペクトしあって、良い音楽を作るために共に努力し、『ソウルヨジャ』は8ヶ国ものiTunesのK-POPアルバムチャートで1位を記録するほど、多くの人に受け入れられる作品となった。

「『ソウルヨジャ』をいろんな人が好きだと言ってくれるのが嬉(うれ)しいんです。K-POPの流れでアルバムを聴いて日本のシティーポップに興味を持ってくれたり、そのまったく逆のパターンもある。私は好きでこういう音楽をやっているけど、そういう話を聞くと私が日本と韓国の架け橋になれるのかもって最近は少し思うようになりました。そういう柄じゃないんですけど(笑)」

曲折を経たYUKIKAにとっての譲れない信念とは何かを聞いてみた。

「目標に向けて努力するのは当たり前という前提ですけど、様々なことを経験して思ったのは、不確かな未来のためにがむしゃらになるより、今この瞬間を楽しくするために頑張ることが大事ということですね。10代の頃の私は芸能界で成功することがすべてでした。周りも見えていなくて、悪い意味でガツガツと仕事ばかりしてた。そういう時って、なぜかうまくいかない。でもちょっと肩の力を抜いて、『これ楽しそうだな』って感覚でやるとうまくいく。極端な話ですけど、今ももし『楽しくない』と思ったら別の場所で全然違うことをするかもしれない。それくらいの感覚です。そういう状態でやってると、気づくといろんなものがいっぱい詰まった引き出しが自分の中にたくさんあって、豊かな表現ができるようになっている。特に私はのめり込むとそれしか見えなくなってしまうタイプだから、視野は意識的に広くしておきたいんです」

今後YUKIKAは作詞作曲にも積極的に関わっていきたいと話していた。ソウルの女であり、東京の女でもある。そんなYUKIKAにしか紡げない物語は、まだ始まったばかりだ。

(文・宮崎敬太 写真・ESTIMATE提供)

プロフィール

世界注目のYUKIKA 韓国・ソウルで日本生まれのシティーポップを歌うわけ

YUKIKA(ゆきか)

93年静岡県生まれ。2006年に雑誌「ニコラ」のオーディションに優勝し、モデルや俳優として活動した。その後、声優の事務所に所属してアニメやゲームにも出演した。12年から学業に専念するため芸能活動を休業。16年に韓国ドラマ『THE [email protected]』のオーディションに合格。番組から派生したアイドルグループ・Real Girl Projectの一員としても活動した。19年にシングル『NEON』を発表。翌20年にフルアルバム『ソウルヨジャ』をリリースし、世界8カ国のiTunesのK-POPチャートで1位を獲得した。

PROFILE

  • 「20代ミュージシャンが語る“譲れない価値観”」ライター陣

    宮崎敬太、阿部裕華、張江浩司

  • 宮崎敬太

    1977年神奈川県生まれ。音楽ライター。ウェブサイト「音楽ナタリー」「BARKS」「MySpace Japan」で編集と執筆を担当。2013年に巻紗葉名義でインタビュー集『街のものがたり 新世代ラッパーたちの証言 (ele-king books) 』を発表した。2015年12月よりフリーランスに。柴犬を愛している。

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