俳優

黒柳徹子さんと森光子さん 受け継ぐ思い(井上芳雄)|エンタメ!|NIKKEI STYLE

井上芳雄です。8月は演劇界のレジェンドの番組に、続けて出演させていただきました。8月14日には黒柳徹子さんの『徹子の部屋』(テレビ朝日系)、28日にはNHK特番『森光子生誕100年 ~放浪記 永遠のメッセージ~』(BSプレミアム)が放送されました。お2人からは多くのことを学ばせていただき、思いを受け継いでいく大切さを感じています。

8月14日に放送された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)の収録日に。楽屋前での井上芳雄黒柳徹子さんが出演したミュージカルのプロフラム。(左上から時計回りに)『屋根の上のヴァイオリン弾き』(1967年初演)、『ラ・マンチャの男』(69年初演)、『スカーレット』(70年初演)

『徹子の部屋』には12年ぶりの出演です。今回は自分の話を聞いていただいたのに加え、前から聞きたかった話をうかがえたのがうれしかったです。徹子さんは、日本のミュージカル黎明期のころから舞台に立たれていて、1967年初演の『屋根の上のヴァイオリン弾き』、69年初演の『ラ・マンチャの男』などに出演されています。その当時のお話です。

徹子さんはもともと声楽をやられていたから歌はお上手だったでしょうし、ミュージカルにも情熱を持たれていました。70年に東宝が製作した『風と共に去りぬ』のミュージカル版、『スカーレット』の初演に出演したとき、来日した作曲家ハロルド・ロームさんの夫妻に気に入られたのがきっかけで、ニューヨークに1年間、演技の勉強に行ったそうです。向こうでは毎日パーティーに呼ばれていて、着物姿の写真も見せていただきました。まるで別世界の話を聞くようで、とても興味深かったです。

徹子さんは、ロームさん夫妻の紹介で知り合った一流の人たちが、みな穏やかでオープンで、隔てなく人と接する人たちばかりだったのに驚いたとおっしゃっていました。僕は、徹子さんも同じで、そんなところがすてきだと思っていたので、その源が分かったような気がしました。当時の日本はまだタテ社会が強く、特に女性が外で働くのは今よりずっと大変だったと思います。そんななかで徹子さんたちの世代は、米国の文化や価値観のいいところを学んで取り入れて、自分のものにしてきたんだなと。僕もニューヨークで演劇人と接すると、オープンマインドを感じるので、納得できました。

そうやって本気でミュージカルを勉強したけど、本場の舞台を見たら、徹子さんは自分にはここまでできないと悟ったそうです。日本語でミュージカルをやる難しさもおっしゃっていました。それは、いまだに僕たちの課題の一つ。日本にミュージカルを根付かせようと頑張ってきた徹子さんら先輩たちの思いを引き継いで、取り組んでいかなければいけないと、あらためて肝に銘じました。

女優と司会を両立させた仕事のあり方も、学ばせてもらっています。コロナ禍で舞台が飛んだという話になったとき。徹子さんも女優を始めたころ、一つのドラマが終わったら、次のドラマまでスケジュールが2、3カ月空いてしまうことがよくあり、そういうときに当時のマネジャーさんが『徹子の部屋』につながる司会の仕事を決めてきてくれたそうです。「女優の仕事がない間も、ほかのこともやっていれば何とか仕事が続いていくから、私はすごくラッキーだったと思うの」とおっしゃられました。僕も舞台俳優だけど、それしかやらないのはリスキーだと考えていたので、同じ思いです。女優としても舞台を続けていらっしゃるし、そういう意味ではお手本というか、自分が目指したいところにいる方です。

司会者としての徹子さんは、オーソドックスなスタイルなのかなと思います。下調べした内容を頭に入れていて、それに沿って話を聞いていく。収録だけど生放送と同じくらいの長さしか撮らないし、予定していたテーマをちゃんと聞いた上で、脱線したり、違う要素が入ってきたりします。

番組に2回出て感じた徹子さんのすごさは、間をつくらないこと。こっちが言いよどんだり、話が終わって間ができそうになると、徹子さんはすかさず言葉をはさんできます。だから、流れるように会話が進んでいく。僕も司会をやるときは、お客さまが「ん?」と思う変な間を空けたくないと思うんです。相手が考えこんだり、うまく言えなかったりすると、「それはこういうことですよね」とか「こうも考えられますね」と、さっと言えると話がうまくつながります。徹子さんはそれが自然にできるのがすごいし、空気のつくり方が本当にうまい。その絶妙な話術も、学ばせていただきたいところです。

もっと見せる

関連記事

Close
Close