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炎上した異人種間キス「多様性の突破口に」 同性愛公表の俳優ジョージ・タケイさんが語るあのシーン:東京新聞 TOKYO Web

スタートレックでおなじみの「長寿と繁栄を」を意味するバルカン人式あいさつを送るタケイさん

 

 コロナ禍の米国で社会の分断が進み、民主主義が揺らいでいる。第2次大戦中の日系人の強制収容を経験し、同性愛者として性的少数者(LGBTQ)の権利向上にも取り組む俳優のジョージ・タケイさん(84)が本紙のオンライン・インタビューに応じ、今こそ多様性を重視し、一人一人が民主主義のプロセスに参加する必要性を訴えた。インタビューは、ビデオ会議システム「Zoom(ズーム)」を使って実施した。主なやりとりは次の通り。(ワシントン・岩田仲弘)

ジョージ・タケイ 1937年4月、カリフォルニア州ロサンゼルスで、山梨県生まれの父(日系1世)と同州生まれの母(同2世)の間に3人きょうだいの長男として生まれる。42年から3年あまり日系人強制収容所で過ごした。UCLA修士(演劇学)。在学中からハリウッドで俳優活動を始める。2005年に同性愛者を公言し、08年にパートナーのブラッドさんと結婚。創設にかかわった全米日系人博物館で挙式した。現在、同館理事も務める。

◆「ミスター・カトー」は間違い

 ―今年のアカデミー賞はアジア系女性の活躍が目立ちました。

 「米国という国は、世界中から集まった人々で構成されています。にもかかわらず、映画産業は特にマイノリティー(人種的少数派)をステレオタイプ化してきました。それに対処する最善の方法は、白人の監督や脚本家らがマイノリティーの話をするのではなく、アフリカ系、アジア系、ラテンアメリカ系の人たちが自らの経験と視点で話すことです。アカデミー賞はまさに、米国の多様性を反映しています」

―1966年に放送が始まったSFドラマ「スタートレック」で、宇宙船「エンタープライズ」の乗組員は多様性の象徴といわれています。操縦士の「ヒカル・スールー」(タケイさんの役柄)は日本ではミスター・カトー(加藤)で有名です。

 「1970年代前半だったと思いますが、東京、長崎、広島に行ってデパートを歩いていたら、10代の若者が口を手で覆って私を指さしながら『カトーさん、カトーさん』とささやくのです。婦人服、紳士服、家具など、どの売り場に行っても『加藤さんだ!』。私を付け回すカトーって誰だ、と思って、日本の友人に聞いたら『あなただよ』と言われて、日本で初めてカトーと呼ばれていることを知りました」

 「実はそれは、私をスールーに抜てきしてくれたプロデューサーのジーン・ロッデンベリーの意図を正確に理解していなかったといえます。当時は(黒人の人種差別に抗議する)公民権運動、ベトナム戦争で世の中が騒然としていましたが、テレビではこうした重要な現実が伝えられていませんでした。テレビは人々を啓蒙する強力な媒体です。そこでロッデンベリーはエンタープライズを地球に見立てて、23世紀にはヨーロッパ、アジア、中南米などから集まった多様性豊かな乗組員が協力して未知の世界を探検する、といった構想を練りました。スールーは東南アジア系の名前で、アジア全体を象徴しています。私の名字がタケイで顔が日本人のようだから日本の名前をあてればいいというのは間違っていました」

◆時代を先取りしすぎた洞察力

―1968年には、白人男性の船長と黒人女性乗組員のキスシーンがテレビ放送初の「異人種間のキス」として大きな波紋を広げました。

 「ロッデンベリーは、多様性の重要性を訴える突破口を開こうと意図的に演出したのです。ただ当時、米南部の各州では異なる人種間の結婚さえ禁じられていたため放送ができず、シリーズの視聴率も散々でした。その後も回復せず、翌年番組は打ち切りに。多様性の実現に向けた道のりは長いことが証明されました。彼の洞察力は時代の先を行きすぎたのです」

―あなたが同性愛者を公表したのは2005年。かなり遅れたのは、こうした排他的な社会情勢が影響したのでしょうか。

 「私が10代のころ、大好きだった白人男性の映画俳優に同性愛者ではないかとスキャンダルが持ち上がった時、彼は大手の映画配給会社との契約を打ち切られ、それが私にとっても教訓になりました。私は公民権運動にも積極的に参加し、60年代にはキング牧師と一緒にデモ行進もしましたが、自らが同性愛者であるという事実まで公表する余裕はありませんでした。さらに(自分の顔を指しつつ)この顔つきだけで、鉄条網の内側で強制収容された人種差別の経験も判断に大きく影響しました」

―2005年、カミングアウトに踏み切ったきっかけは何でしょう。

 「当時のアーノルド・シュワルツェネッガー知事(共和党)が州議会で可決した同性婚の法案に拒否権を発動したからです。彼は知事選に立候補した時、『私はハリウッド出身でゲイやレズビアンの人たちと一緒に仕事をしてきた』とLGBTQに理解がある姿勢をみせていただけに、私は激怒しました。(後に結婚して夫となる)ブラッドと相談。もう俳優として十分やってきたし、芸能界から退く準備もできていたことから公表に踏み切り、同時に知事を激しく非難しました」

―その結果は。

 「(スタートレックなどの)キャラクターとしてではなく『ゲイのジョージ・タケイ』として引っ張りだこになりました(笑)」

ジョージ・タケイさん(本人提供)

ジョージ・タケイさん(本人提供)

◆トランプ氏の名前も出したくない

―排外的な移民政策などを進めるトランプ前大統領に対しても厳しかったですね。

 「すでに終わった人のことは話したくありません。名前さえ出すのもはばかられます。彼は米国にとって屈辱でした」

―昨年の大統領選の候補者討論会で、トランプ氏が白人至上主義者の批判を避けた上、極右組織「プラウド・ボーイズ」に対して「下がって、待機せよ」と述べた時、「#ProudBoys」のハッシュタグを使ったツイッターが話題になりました。

 「(誇れる)ゲイのカップルがお互いに仲むつまじく触れ合う写真を撮り、タグ付けしたらどうなるだろうか。彼ら(プラウド・ボーイズ)はとても混乱するだろう―と投稿したら、瞬く間に広がりました。ユーモアは強力な武器です。プラウド・ボーイズは過激ですが、私から見たら愚かな臆病者です。本当に誇れる(=プラウド)男子らは、民主主義の権利と社会の公正を求めて戦うLGBTQ社会の中にいるのです」

◆顔つきが日本人なだけで強制収容

―戦時中の強制収容経験が自らのアイデンティティーを形づくったと繰り返し述べています。

 「日系人の強制収容は、国民がパニックに陥った中で行われました。民主主義の最も強力な柱である法の適正手続きもなく、司法制度、法の下の平等もない。私たちの顔つきが日本人に似ているだけで、国民は戦時ヒステリーと人種差別の渦にのみ込まれ、私たちは敵性外国人に分類されました。当時5歳でしたが、鮮明に覚えています」

―収容中、家族が米国への忠誠を問う二つの調査項目に「ノー」と答えたために南部アーカンソー州の収容所から、より過酷な西部カリフォルニア州のトゥーリーレイクの収容所に移されたと聞きます。

 「『米軍の任務に就く意思があるか』『米国に無条件の忠誠を誓い、天皇への忠誠を放棄するか』という二つの問いに、父と母はいずれも『ノー』と答えました。最初の質問は、鉄条網の中に家族を残したまま、それを強いた国家のために戦え、という話。二つ目はそもそも、天皇に忠誠を誓っているという誤った前提の質問です。両方とも否定したために送られたトゥーリーレイクは、三重の鉄条網を張り巡らし、戦車が行き交い、米政府の不合理な残虐行為を最も象徴するような施設でした。両方とも『イエス』と答えて、米国のために驚くほど勇敢に戦場で戦った人も立派ですが、勇気を持って『ノー』を貫いた父母らも誠実な英雄だと思います」

◆民主主義は主体的に参加しないと意味がない

―2019年に収容経験を詳細に記した「THEY CALLED US ENEMY」(邦訳は、〈敵〉と呼ばれても・作品社)をグラフィックノベルという形で出版したわけは。

 「若い人たちに米国史の一章を知ってもらいたかったからです。これは日系人の歴史ではなく、米国そのものの歴史です。国の将来は若者たちの手に委ねられます。将来有権者となり、国を動かす原動力になる中高生に手にしてほしかったのです」

―本の中では、父親と強制収容や民主主義について議論を交わしている様子が描かれています。

 「父は私にとって、民主主義の道しるべでした。父の世代の多くが過酷な経験を話したがらない中、多くを語ってくれました。一家の柱として、さらに収容所の自治会長として苦しみ、怒りながらも、私たちの民主主義は依然として世界で最高だと教えてくれました。父は民主主義の大きな絵を描くことができたのです」

―人種間の融和が進まず、民主主義が危機に陥っていると指摘されます。

 「強制収容を可能とする大統領令を出したフランクリン・ルーズベルト大統領は、大恐慌下で『恐れるべきは恐れそのものだ』と国民を鼓舞し、危機を克服しましたが、彼自身が恐怖に見舞われてしまいました。偉大な大統領でさえ人間である以上、過ちから逃れられず、大衆の暴走を許してしまったのです」

 「父は、リンカーンの『人民の人民による人民のための政府』といった高尚な理想も実現するには参加しなければ意味がない、と教えてくれました。重要なのは(暴走による)思いもよらない結果を防ぐためにも、合理的な人たちが民主主義のプロセスに主体的に参加していくことです」

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